※このエッセイは、リテラ「考える」国語の教室『大人の文章講座』にて書いた作品の完成版です。
「文章 ライティング 五感の力で人生を豊かにする エッセイ の書き方」
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エッセイ「朝の夢」
毎年5月になると近所の公園にバラの花が咲く。
私は毎年それを見に行くことを楽しみにしている。
楽しみにしているのはもちろん私だけではない。週末、公園に行くと人の数もすごいことになる。
バラを眺めたり、最高の1枚を求めてバラを撮影したり、バラを背景にスマホで自身を写したりとバラとの楽しみ方は人それぞれ。
たいへんな盛り上がりになるが、私は混雑が嫌いだ。
恥ずかしいからあまり書きたくはないけれど、自分の思い通りにならないと、知らない誰かに対してムッとする。
歩いている自分の目の前をあっちこっち人が行き交い、とにかく人が多くて、自分の思い通りに歩けないから楽しめない。
少しでも心穏やかに、気の済むまで綺麗なバラの花を眺めたい。
どうしたものかと考え、平日の朝早い時間にバラを見に行くことにした。
そして月曜日。朝6時に家を出た。
人も、車の通りも少ない静かな世界を歩く。
すれ違う散歩中の犬、イヤホンで何か聞きながら歩くスーツ姿の人。
音楽を聴きながら散歩もいいなと思ったけれど、イヤホンを取りに帰るもの面倒だ。
せっかくなので朝の空気と静寂を楽しむことにした。
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目的地に着くと目の前には満開に咲き誇るバラたち。
予想通り、平日の早朝なので、土日の混雑に比べると公園にいる人はとても少ない(それでも数名いたが)
早起きして出かけられたことと、静かな公園の雰囲気に、私は大満足だった。
こんなにゆっくり見られるのはこの時間だけなのではないか。そう思って、公園の隅々まで歩くことにした。
バラの名前が書いてある看板には「スーパースター」、「プリンセスミチコ」などなど。バラといってもこんなにいろんな名前があるのだなあと驚いた。
次に気付いたのはバラを育てるにあたって園芸用の支柱が使われていないことだった。
どうやったらこんなに大きな花が、空に向かってまっすぐ伸びるのか。
そう思って地面を見ると、理由はすぐにわかった。
岩のようにゴツゴツした大きなバラの株だ。
綺麗な花を咲かせているその足元は、花や葉の陰に隠れて暗く、足元まで丸ごと華やかではなかった。
土台がしっかりしているから好きなだけ伸びることができるし、途中で折れたりしない。そして大きな花を咲かせる。
この世の理(ことわり)を教えられたようだった。
『縁の下の力持ち』という言葉はあのバラの株のような存在に使うのだろう。
そこからのびる枝も、丸太とはいかないけれど、そこらへんの木の枝よりずっと太い。
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バラのそばに建っている大きな鉄骨に、グネグネと曲がって絡みついている枝も見つけた。
そして太い枝には短くも鋭く、とがった大きな”とげ”がたくさんある。
見つけたときはその姿を見て不気味だ、と思った。
鋭いとげは、誰にもふれさせるまい、という雰囲気を放っている。
たくましい枝をあちこちに曲げて、張り巡らしている。
夜になったらメキメキと音を立てて、この公園中を取り囲み、誰からもバラなんて見えないようにしてしまうのではないか。
そんな光景が目に浮かぶほど、躍動感のあるとげだらけの枝。
朝の光に照らされて、たくましくそこにいる。
夜になったら動くかな、なんて考えた。
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帰り道は人が一気に増えて、通勤、通学中であろう人がそれぞれの目的地に歩いている。
目の前を自転車が何台も行き交う。数時間前のように、ぼーっとしながら歩くことは難しかった。
静かな公園でバラを見たのも、不気味なバラの枝を見つけたことも、夢のようだった。
帰宅すると、起き抜けのままの布団がそこにあった。
朝早く出発することが目標だったから、起きてそのままの状態で出てきたんだった。
おわり